先年図書館の耐震改修を行ったルーテル学院大学・神学校だが、4階に積み上げられていた未整理の本を整理していたところ、大判の古いルター訳旧新約聖書が発見された。1630年シュトラスブルクで印刷されたものであり、最近でも40年近く、未整理図書として4階のかなり高温多湿の空間に放置されていたために、いささか痛みや虫食いが見られるものの、まごうことなく1630年印刷の実物である。
何年か前シュトゥットガルトの図書館で、同じように未整理の本の中から、ルター自身の書き込みのあるルター訳聖書が発見された、とドイツのある日刊大新聞がスクープして大騒ぎになった(これは結局筆跡鑑定の精査の結果、ルターの弟子がルターの筆跡を真似て書き込んだものだろうという結論に達した)。こういうことがあるものである。そこでまずはいささか調べてみた。
そもそもグーテンベルクの活版印刷の発明以来10年ほどのこと、シュトラスブルクは1466年以来活版印刷の町、その印刷の多くはルター以前のドイツ語訳聖書の部分出版などで、1518年までに十数種類のものが知られているようである。この実力が認められていたから、ルター訳の聖書ができるとアウグスブルクに次ぎ、ニュールンベルクに先立って、その印刷を始めている。この伝統を引き継いだのがL.ツェットナー(1551-1616)とその子孫の印刷所である。この印刷所が1630年にこの旧新約聖書を印刷、出版したわけである。
この聖書には特別に注目が集まる。M.メリアン(1593-1650)の銅版による挿絵が多く印刷されているからであって、特別に『メリアン聖書』と呼ばれているほどである。メリアンはフランス、ドイツ、オランダで銅版画の修業をした後、銅版画師でもあった伯父の求めにより、1624年にフランクフルトで聖書の挿絵に取り掛かり、1625-27年の間に250枚の銅版画を製作したという。これを用いて1630年にルター訳旧新約聖書を出版したのがツェットナー印刷所だったわけであり、17世紀の聖書とその挿絵の印刷史、美術史上の傑作と言われている。それは最近復刻版が出版されていることでも証明されよう。
今回三鷹で見つかったものもインターネットの検索で調べる限り、ほぼこの『メリアン聖書』そのものであるらしい。しかるべく修復されて、適切に展示も、研究もなさるとよいのではなかろうか。
(徳善義和)